史 跡 観 察


赤羽横穴墓群
公園の北側の斜面には今からおよそ1400年前の古墳時代のお墓がたくさん確認されております。ここは赤羽横穴墓群と呼ばれています。
横穴墓というのは丘陵の斜面に穴を横に掘ってその中に遺体を埋葬するものです。この周辺を全面調査すると100基以上の横穴墓が確認されるものと推定されています。

B支丘1号墳墓
 B支丘は昭和51年に発掘調査が行われましたがここにはひときわ大型の横穴墓が一基あります。現在見られるのはこの一基だけです(この東側に見られる幾つかの横穴は防空壕のようです)が、その横穴墓からは金銅製の冠の一部・鎧の小札(コザネ)・玉類・武器なども発見されました。これらは現在、日立市郷土博物館に展示されています。
 冠の存在は、それをかぶった人物が地域の有力者などではなく、おそらく大和王権とかかわりの有った官人としての性格をもった人物が葬られたのではないかと考えられています。
 

D支丘の横穴墓
 
D支丘は現在駐車場西側の樹木の多いところですが昭和50年に行った発掘調査では下の写真のように多くの(31基)の横穴墓が見られました。ここの横穴墓の被葬者は、副葬品が貧弱なことや墓の構造が簡略的であることから、B支丘1号墳墓に比べて低い階層の者の墓であると考えられています。調査後埋め戻されています。

大昔を垣間見る
 これらの横穴墓に埋葬された人々は、西側又は北側の台地上に集落を形成していたようで、団地(曲松、金井戸団地)造成時には多くの家の跡(曲松、金井戸遺跡)が発見されていることから、様々な時代にそこで生活していた人々と横穴墓との関係が垣間見られます。
同時に、池を含めて古代の原風景を思い起してください。当時の人々がこの周辺での「入り江」を利用し、生活、交易に励んでいたことが想像できます。
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